亜東印画輯/京大第23冊
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◎農安の町(農安)
農安縣城は高さ三米の土壁に圍まれた町で、市街は東西南北の西大街あり、此の十字街を中心とする大街は商況繁榮、雜貨、糧棧、當舖などの商舖軒を並べて出廻期には活氣を呈して居る (印畫の複製を嚴禁す) -
◎古塔を望む(農安)
農安は遼の太祖が渤海、扶餘を併合した當時黃色の龍が城上に現れたに因んで黃龍府と稱された古城である。その昔を物語りげに十三層の白塔が頹廢したまゝ今も尚朽果てた姿を止めて聳えて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎農安南門外(農安)
縣內は山岳らしい山は殆ど見られず全部農耕地に適した平地である。しかも伊通河は南に沿ひて東流し、松花江又はその內を走り流域の土地肥沃種々なる農產物に富んで居る。圖は農安南門外から眺めた沃野の一望である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎扶餘の町(扶餘)
扶餘は古昔扶餘國の都として知られ、肅愼地の伯都訥として古い歷史の都である。市街は松花江に臨み城內外の二大區劃に分たれ、城內には、東西、南北に交叉する大街あり圖はその商賣地區南大路の一部である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蒙古近く(扶餘)
四角な泥家のかたち、地を覆ふ土の色合、際涯遮るなき曠野へのつゞき、此處迄來ると全くの蒙古氣分である。扶餘の町は西、南、北の三方面が悉く江を隔てゝ蒙古地帶續きで對蒙貿易の重要地である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎松花江(扶餘)
源を遠く白頭山に發した松花江もこの邊迄來ると雄大な大水流となり、河幅三百米、水深八米餘、三四千噸の汽船も溯航出來、更に數粁の下流に蒙古からの大河嫩江を合流してスンガリ-となり北滿交通の一大幹線となつて流れる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎漁舟(扶餘)
北邊一帶の松花江流域は昔から漁業の行はれた處で、魚類も頗る豐富であるが漁撈法は未だに從來のまゝである。淸朝時代には北京に獻納して居たもので今尚相當の漁高もあり、冬は凍漁として新京、奉天其他の市場に送られる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎松花江岸(扶餘)
扶餘城外、夕近き松花岸の一ときである。一日の漁高をさばく漁師のざわめきも暫し、一望の太平原を越え大江を涉る夕靄のうちに包まれて、岸に並ぶ帆柱にはや夕の風が迫る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎大賚城門(大賚)
大賚の歷史は僅か二三十年に充たぬもので、由來札賚特旗の一部であつたが漁人の移住行はれてより移植民によつて出來た町で、地方には稀な井然とした町をなして居る。城門は丈餘、東、西、南、北各三滿里の城壁ありその內に東西及南北の兩大街が商家の軒を連ねて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎大賚市街(大賚)
大賚は黒竜江省最南端嫩江西岸にある町で、江岸埠頭迄は引込線が敷設せられ、鐵道と共に水陸交通の要點である。然し過去に度々匪賊の掠奪を蒙つて以來餘り振はぬが、將來は地勢上から扶餘、農安を凌ぐものと見られて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎錦州の塔(錦州)
起源を遠く舜堯時代に發した錦州の歷史は古いもので遼西の錦縣として遼東の遼陽と共に知られた町である。廣濟寺境內にある古塔は遼代の建立と云はれ高さ三百九十尺、町のシンボルとして今も尚中空に聳立して居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎錦州市街(錦州)
滿洲事變に錦州爆擊で知られた錦州市は從來錦縣と呼ばれた町で、古くから遼西の政治、經濟の中心地として來た處である。附近背後に產業資源地を控え、殊に阜新、北票の炭田と胡蘆島の築港は輸送の完備と共に益々市の發展を齎らしつゝある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎黄塵の町(義縣)
義縣は唐代から知られた大凌河畔の都邑で、錦州から朝陽への中間にあり昔は遼東への重要交通路であつたらしい。今も尚その面影を愢ばるゝ城壁や古塔が遼西名物の黄塵にまみれて名殘を止めて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎古塔(義縣)
遼代の建立と傳へらるゝ義縣の白塔は城內西南隅の嘉福寺境內にあり、東街に殘る滿洲最古の木造建築物である奉國寺と共に町の古い歷史を物語るものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎閭山(一)(閭山)
遼西の醫巫閭山として支那名山の一に數へられた閭山は北鎮の城內十二滿里の地にあり、高さ十餘里、周圍二百四十里と記されてある名所である。一時は遼西馬賊の巢窟と荒されたが今は國立公園として滿洲名所の雄たるもの遊客を呼ぶのも近い日の事である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎閭山(二)(閭山)
遼西の閭山は山中奇巖怪石に富み、しかも翠綠の間に點在する寺觀、廟閣の輪奐の美あり頗る景勝の地として知られ、特に山上よりする渤海の大觀はその秀なるものと云はるゝ歷史ある名山である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎國境の町(山海關)
山海關は奉天から北京を繫ぐ中央に當り長城を界に關內、關外を分つ國境の町である。市街主要部は河北省に屬する關內にあり東西南北の各大門に圍まれた城壁あり、南關大街最も此の一割にある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎天下第一關(山海關)
山海關は古來幾度か中原に覇を唱へんとした民族爭鬪の決戰地となつた處で、萬里長城は南端の海岸より起り町の東北を過ぎ蜿蜒遠く甘蕭につゞく。古来長城の西方を關內、東北方を塞外と呼び、內外を通ずる東門には有名な天下第一關の大扁額がある。圖はその裏側。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎長城吟(山海關)
生ける歴史か積り來し齡は髙し二千年●(一字空欄)影は萬里の空に入る名も長城の壁の上……嗚呼跡古りぬ、人去りぬ、歳は流れぬ、千載の●(一字空欄)昔に返り何の地か今秦皇の覇圖を見む、殘壘破壁聲もなく、恨みも暗き夕ぐれの…… (土井晩翠) (印畫の複製を嚴禁す) -
◎秦皇島海岸(秦皇島)
山海關から萬里長城が蜿蜒長蛇の如く北方に走るを眺めつゝ進めば、左に平野を隔て、渤海の碧波を望む處が秦皇島の海岸である。北支の不凍港として結氷期の海運に利用せられ繁榮を見ると共に解氷と共に閑散となるが風光明媚な處である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎新山々容(嶗山)
嶗山の勝は山勢の雄なるに在る。崢嶸峨々として膠州灣頭を壓するところに此の山の生命が存するものである。東瀛の水遠く海灣をつらねて朝暈落日の眺めによく靑島郊外唯一の遊覽地である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎嶗山(嶗山)
嶗山は古來支那名山の一つである、山高きにあらざるも巖石の怪奇を以て名高い。支那の岩石趣味は、山姿水容の大觀よりも變態畸形の異常性を愛玩するかに見える。山に草木なきをいとはぬ、谿澗水の流れを見ざるも構はぬ。崢嶸に怪異なる處に彼等の山嶽美觀がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎白雲洞近く(嶗山)
屹立する連巒重疊の奇岩、磊塊たる花崗岩質の斷崖、白雲洞近き山の一角である。更に脚下千餘尺、膠州灣の波影は山裾を洗つて白く映ゆる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎九水附近(嶗山)
嶗山遊覽道路の登りに、漸く重疊たる連峯の迫る處に九水の部落がある。獨逸時代遺物の坦々たる自動車道路には胡藤の花盛り、整然たる田圃を隔て、眺める巒峰は水墨の如く美しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎膠州灣を望む(嶗山)
嶗山から鳥瞰した膠州灣の眺めは、支那式に形容すれば蓋し天下の第一觀といひたいところ、遠景の山影は彩島岬と云ふ。眼下に連る長汀曲浦には波に洗はれる白砂がつゞいて、潮に冴たる碧の海には帆影の去來を見る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎溪流(嶗山)
岩肌の嶗山に美を添へるものは溪流である。中腹ともなれば矮松の綠葉參差として嶄巖を蔽ふ間を、清澄の谿水潺湲たるものあり、その間に民家、田圃の點在するなどあり清冽に彩られた山間は實に美しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎山徑(嶗山)
全山巖石に包まれた深山の山徑は晝尙幽邃靜寂の境である。昔秦の始皇が不老長生の靈藥を索めさせた蓬萊の方丈山と傳へらるゝ神話もさこそとうなづかるゝ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎山中の廟(嶗山)
花岡宕の白い肌を洗ふ清冽の流れ、岩肌を被ふ灌木翠綠、流れに映るさゝやかな丹碧の甍、遠い連は二重にも三重にも淡墨に彩られ、南畫そのまゝの姿である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎筏船(嶗山)
丸太や角材を中凹みに組み合せて波上に浮揚して居るだけの用意、波が入らうが出ようが自由自在、結局普通の船よりも安全であるところが取り柄である、これで汎もかければ櫓も用ゆるから面白い。浮山の海邊の漁師が今でも之れを使用して渤海の波を征服し乍ら漁業に從事して居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎白雲洞朝暉(嶗山)
嶗山みら東北端、海岸より約半里海拔千餘尺の中腹に白雲洞の廟宇がある。巖頭の廟より望む黎明の靉靆たる紫雲に彩られた旭日昇天の姿は實に雄渾莊嚴の極と言はるゝ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蜀道難(四川省・三峽)
矗立した絕壁の中程、しかも幾百尺と云ふ。斷崖の橫腹に造られた僅かに肩の擦違ふ程の索道、腳下は眼眩む計りな激灘の白濁、「蜀道難」とは正に文字通りである。しかもこの難灘を遡航するため、一條の竹索を肩にした曳子共が狹い索道を辿るのを見るとき如何に難事であるかゞ思はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎萬縣 (四川省)
宜昌から溯江すること一九五浬、楊子江《揚子江》の北岸丘陵の起伏する處に萬縣の町が展げられて居る。宜昌重慶間の中繼地として商業の盛んな町で、陸路成都を經て峨眉山登りの人々や北蜀雲棧の奇勝を探る旅客の上陸地とされて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎重慶碼頭(四川省)
今事變以來吾々に知られ過ぎてる重慶とは一體どんな處か、一八九一年の芝罘條約に開かれた四川省唯一の開港場で、戰前人口四十萬とせられ成都と共に巴蜀の鍵を握つた主要地である。市街は江面から爪先上りの坂道が続いた丘陵の地で、狹困しい間に螺集した人々の蠢動する混雜したまちであつたが今は果たして如何にや。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎重慶の家並(四川省)
ゴミ(ゴミ)と密接櫛比した屋浪と軒、窓らしい窓も見られぬ重なり合つた建築樣式、幾度かの禍亂がこんな警戒的な生活樣式を生ましたらしいが、住民も自然と自分のみを守るに汲々たる個人主義の形式となるのも當然であらう。然し斯うした建築も今頃では我が果敢な空軍の長驅爆撃で果たしてその姿を残すやら。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎成都正門の花表(四川省)
成都は四川省の中央即ち成都盆地にある昔の蜀漢の帝都で、市街は約十哩の城廓に圍まれ城內外の別あり更に城內は大城內、滿城內に二別せられる。これは大城正門(南門)外の大華表である。人口五十萬餘、近代では排外抗日の尤も熾烈な地方として知られている處である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎靑羊宮八角堂(四川省・成都)
靑羊宮は南門外約一哩半にあり、四川道敎の大本山で老子が祠られて居る。庭內にある八角堂は金昇龍を彫刻した八基の石柱があり、支那式に云へば退いて仰げば八龍一時に攀ぢんの慨ありと云はるゝ結構なものである。堂內には老子騎牛の像を安置してある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎草南寺の古亭(四川省・成都)
成都南門外、林間を約一丁餘行くと草堂寺がある。唐の詩聖杜甫が草庵を結んで大いに縱酒高嘯した墟を紀念として祀つた處で、杜公詞又は浣花溪寺とも呼ばれた。篁竹の鬱蒼とした古亭に碧い歷史と詩に綴られた昔を偲ぶも一興である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎成都博物館の一部(四川省)
成都は蜀主劉備の都した処、諸葛武侯が籌謀を廻らした地として物語で知られた舊都であり、更に杜甫、李白蘇東坡などの大詩人の住つた處として歷史と詩に馴味深い都である。これは由緒の深い藏品を陳列せる博物館の一部で、中央の掛軸は南門外の有名な望江樓にある女妓薛濤の像の拓本である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎岷江々岸(四川省)
遠く雲南から東流した楊子江《揚子江》の上流は、四川に入ると東北に流れ更に叙州に至り、右に橫江左に江を合して始めて楊子江《揚子江》と呼ばれる。岷江は叙州を中繼に重慶と成都を繋で居るが今は陸運の方が便利とされて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎竹の水車(四川省)
竹の水車四川省は古來天府と云はれた程豐饒の地で、氣候もよく農田は年三回の収穫あり省内一帶は山岳地が多いが僅かの山間の狹地にもよく理然たる水田が見られて居た。然し政局の不安と軍閥の相剋が原因で現在では疲弊の極みに達して居ると云はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎髙脚踊
鉦、銅羅、笛などの騷々しい伴奏に連れて竹馬をつけた一團が街を鍊つて來る。赤、白、靑、黃の色とりどりの衣裳と隈取りをした踊手が脚取りも鮮やかに手振り身振りで踊り步く。支那や滿洲で慶祝の日は必ず出て來る高脚踊の一隊である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎土俗人形
拙稚な手法ではあるが土俗味の豐かな人形が土地々々に生れるもので滿洲でも娘々祭などに出る人形のうちには蒐集家に愛玩せられるものがある。長煙管の煙もゆるややかに街頭の人形屋の店先は子供等を呼んでる果して商賣になるのやら。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎街の玩具屋
僅か計りの玩具を並べた街頭の玩具屋、如何にも小供相手の十錢ストアーと言い度い處である。晝下りの小春の陽は流れて、店番の小孩兒の姿にもどつか冬の步みの近づいたらしい氣配がされる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎カスガヱガンホージ
町角に陳取つた工人の繰る弓張りの穿孔錐の軌る音が夕近い空に流れて居る。傘屋とカスガヱ屋さんは內地の人にも馴味のある商賣で丹念にカスガヱを打込む手際は獨特のものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎愛禽
大陸氣分と云ふか支那人にはどつか暢然とした悠々さがある。戰塵に次ぐ戰禍のうちにも愛禽の轉りに耳を傾ける閑日月があり、手近かな處でその日暮しの苦力の軒先にも麗かな啼聲がよく聞かれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎收穫
秋十月高梁の刈穫り頃は滿洲の農家には忙しい日が續く。穂もたわゝに穰つた金粒の束が苅とられると、殘された一望切株の畑を涉る風の動きにそろ(そろ)冬來るらしい地殼の聲音が聞かれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎穫取り
今年も高梁は豐作である、一家打揃つて穫取りに忙しく、親も兒も穰つた穗束に嬉々として野良は樂しげである。畫中婦人の髮は滿洲特有の型で纏足と共にこんな風習も今では暫次失はれつゝある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎南京豆掘り
南京豆は滿洲特產の一つで收穫時になると大きな南京豆の山積が隨所によく見られる。一家揃つて南京豆掘りの集ひ、奶々も小孩も如何にも樂しげのうちに秋の陽は傾いて行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎籠編み
滿洲の田舍路を行くと道畔や川べりによく柳の並木が見られる。靑果や魚類の籠として用ひられる柳條はこれを材料としたもので、籠編みも立派な商賣として盛んな需要に應じて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎葬式のある家
支那では古來葬式は尤も重大視され、盛大な程親孝行の表現と見られ家產を傾ける者さへある。式前數日は家に祀り一般の弔をうける風習あり、側の人形は供奉人形で種々の紙人形などが葬式の御供に立つのである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎街を繞る運河(杭州)
杭州市街は運河四通八達、寧ろ陸運の不便を思はせる位である。運河は西湖から出で城內を貫通し武林門に出る下塘河と、他は城內を過ぎ良山門を廻り大運河に通ずる上塘河との二つがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎白壁の並ぶ街(杭州)
往昔マルコポーロの筆にその壯麗を贊せられた杭州の町は、茶、絹織物で有名な商業地である。昔から習俗侈奢な華かな處と云はれ、其後幾度かの變亂に遇ふて昔日の悌は無いが立並ぶ白壁の家並に尙その富有さが思はれる (印畫の複製を嚴禁す) -
◎保叔塔を望む
(杭州・西湖) 西湖の西北隅、寶石山の頂上、碧潭の湖面を下瞰しつゝ遙かに對岸雷峰の古塔に對して保叔塔(寶叔塔)がある。塔は吳越時代の築造と云はれ翠綠に映ゆる古雅掬すべきものがあり、その山麓に我が領事館がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蘇堤春曉
(杭州・西湖) 清澄な湖面に翠巒の影を映す湖中に、小島を浮べ堤をつらねた西湖の姿は古來文人、墨客の推賞おかざる處で蘇東坡が築いたと云はるゝ蘇堤の春曉、楊柳に亭榭を配した倒影はそのまゝ彩菅の境地である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎冷泉亭
(杭州・西湖) 冷泉亭は靈隱寺の門前にあり、唐の刺史元䕟が建立せるもので亭は元水中にあつたが宋の政和年間郡守鉉閣が僧惠雲に命じて側に造らしたものと云はれ、昔は亭上に白樂天の石刻や蘇東坡の記文があつたが今は無い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎湧金門外
(杭州・西湖) 西湖はその周圍三十支里、西南北は翠巒の連丘に圍繞せられ、周圍には名勝あり寺觀あり、蒼翠參差たる處古雅典麗な古塔や丹碧の甍の倒影そ古來十景を詠はれ三十六景を舉げられた勝地である。此處は周遊の畫舫の發着する湧金門外。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎靈隱寺羅漢寺(杭州)
靈隱寺は雲林寺とも云はれ靈隱山にあり、咸和年中僧慧理の建立したもので、其後臨治年間重修せられ全山幾多の碧樓朱殿に映えた大殿堂であつたが、長髪賊の變に悉く炎上し殘されたのが此の羅漢堂のみであつた。其後淸朝に今の宏大な本堂のみが再建せられたものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎茶の龍井(杭州)
靈石山の西南鳳篁嶺にある流泉を龍井と云ひ源は深山から出て水の絕えた事が無いと言はるゝ。附近一帶茶の名所で吳の赤烏年間葛洪練丹の故址と傳へらるゝ。我邦の宇治と云はるゝ茶所で產量は少いが良質を以て名がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎酒積舟(紹興)
支那では酒と云へば紹興酒を隨一とされ我邦の灘の生一本と云ふ處である。紹興は寧波運河を杭州から三十餘哩の處、春秋には越王の舊都があつた古地である。町端れの河岸に並んだ酒積舟の群にも如何にも酒都らしい趣がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎のどか(紹興郊外)
陽はサン(サン)と軒先に差して居る。繕いものに餘念の無い親と兒が何をうれしいのやら。江南の田舎にも平和の春が訪れて、戰禍を逃れた住民の顏にはどこにも長閑さが見られる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蘇州の水門(蘇州)
蘇州は大運河と蘇州河とが合流する處で、市街は水路が縱橫に交錯する水鄕の名に相應しい都である。城の外周運河と城內の水路は五箇所にある水門によつて水運を繫がれて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎寶帶橋(蘇州)
蘇州盤門外東南約二哩、大運河と澹臺湖との間に架けられたのが寶帶橋で、穹窿形の橋腳五十三、長さ約千二百丈、江南隨一の橋梁と云はるゝ。唐代時の刺史王仲舒が自ら束帶を賣り橋の重修の資に當てたのでその名があると云はる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎楓橋あたり(蘇州)
蘇州は所謂古蘇三千六百橋と云はれた處、楓橋もその一つで右側に望む寺門は楓橋夜泊詩で有名な寒山寺である。寺は唐代の開基後幾度か修復せられ今は碑面の磨碎sた文徵明の詩碑が殘るのみである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎虎丘(蘇州)
虎丘は府城約三哩の西北にあり、山上に吳王闔閭を祀る虎丘禪寺がある。境內幽邃眺望頗る佳、傳說によれば吳王を此地に葬る當り十萬人を殺して之を埋めると三日にして悉く白虎と化し丘上に蹲跪したと傳へられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎古鴛鴦壙(蘇州)
これは蘇州の町から拾つた古墳の一つ、明の崇禎十四年とあるから物語は五六百年も前のこと、「妻楊烈婦」の字から見るといづれは鴛鴦の契つきせぬ佳人を失ひよく忍苦の婦德を全ふした麗人が哀話の主であらう。今で路傍に捨てたれたやうな婦道を物語りげに塚のみは古りて行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎町裏(蘇州)
靜かな水鄕町裏の一景、水面に映した白壁の倒影も淀んで小波さへも無い。姑蘇の昔から陸路よりも水路の多い街、その昔橋下に夜半の鐘を愁いた遊子の船を今は見るよしも無い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎中山門あたり(南京)
昭和十二年十二月一日、記念すべき南京總攻擊の火蓋は切られた。十七日入城を見る迄城壁の各門近くは幾度かの激戰が繰返された。此處中山門も血醒い硝煙の巷となつた處、これは戰前の中山門あたりの景。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎謝公墩(南京)
南京城の隅に謝公墩と云ふ小丘がある。謝公が甞つて王羲之と共に此處に登り大いに天下の志のあつた處、又宋の王安石も退隱した處と云はれる。その詩に 我名公子偶相同 我屋公墩在眼中 公去我來墩屬我 不應墩性尚隨公 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎古鶏鳴寺(南京)
南京北極閣に古鶏鳴寺がある。昔は同泰寺と呼ばれたが、梁の武帝朝瑯琊城に行幸の折此處に至り始めて鶏鳴を開きそれ以來名が改められたと傳へられる。六朝累代の居所であつた建康宮の故址で、その昔南朝四百八十寺の一つに數へられた寺である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎千佛廟(南京)
棲霞禪寺は大平門外約十五哩棲霞山中にあり、山中舍利塔あり千佛嶺ありその間を老松參差綠翠の滴るところ頗る幽雅の靈域である。それは山中千佛廟にある鐵佛橡である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎春殘し(北滿)
北滿に春が來る-結氷期の憂鬱を知る者ほど春來る音づれの樂しさを味はふ者は無い。矢柔らかな春の感觸は先づ水から來る。町に出る人々のゆるやかな水面に投げる姿にも冬から逃れた輕々しさが映されて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎山神廟(北滿)
峠を幾つ越したであらう、警乘の兵隊さんを交へた一行は漸く今一憩みのところ、山神廟のある頂きには簀張りの日覆が設けられ、人も馬も凉風を入れて汗を拭うての一時は旅ならでは味はれぬ快味である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎村の看板(北滿)
片田舎では珍しく樂器屋の看板があると思ふと其上には大工商賣の現物表示がある。家の造り格構からはてどんな樂器があるのかと、好奇心に內部を覗いたが戶締まりされて人聲も無い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎白露の女(北滿)
ロマノフ王朝盛んな日には何々夫人とか社交の人であつたかも知れぬ、華美ではないが整然とした客室には丁度が揃つて、マダムの身だしなみもきちんとして居るが、心なしか未だ華やかなりし昔の夢に絆される國なき人々の淋しさがどこかに漂ふやうに思れる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎ヨツトクラブの女(北滿)
ハルピンの表現は松花江である。夏に冬に松花江は都人の憩い場で、夏の江岸一帶は遊歩の人々蝟集し川面はヨツトの飛沫で賑ふ。相乘りするクラブの女は名物の一つで元をたゞせば今は昔の大官の娘だつたとでも云ふ白露の女が多いらしい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎賣出し日(北滿)
今日は街の賣出し日である。よく一本筋の田舎に見る小さな町であるが、近鄕近在から出て來た人々で裝飾された店頭は賑ひ、客相手の飮食露天さへも立つて居る。古風な店頭看板にも老舗らしさが見える。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎鮮農の家(北滿)
北滿の荒地に最も早く鍬を下したのは北鮮から流れた人々の群である。幾年かの壓迫と誅求のうちに營々と續けた辛苦は漸く酬ひられる日が來た。今では深く土に根ざした安住の地を得た人々の子孫等の顔も樂しげに見える。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎冬來る(北滿)
金屬性の冷い風が川面を涉る頃になると、昨日迄滔々と流れた水面に氷が張りつめ北滿の冬は愈々本格的になつて行く。氷上の通路に橇が用意せられ渡場に擔い露店が並ぶと行交ふ人々の姿も冬仕度となる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎さすらひ(北滿)
親子の猿を伴侶として明け暮れ里から里へと流れる旅藝人、綿入れの服に生活の疲勞を思はせる親方と、何か囁きげな猿の物ごし、晚秋の陽は冷々と長い影を投げる。はて今宵はどこに宿るやら。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎風見(北滿)
田舍の農家によく見られる風見の表杆である。風水を命とする五穀には風は大事なもので風神を祀る農夫の信仰もさこそと思はれる。頭に付けた赤布は戎克の帆柱などに見るものと同じ意味の迷信らしい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蕪湖碼頭
(安徽省) 安徽省蕪湖は省內唯一の開市場で長江沿岸重要なる船着場である。光緒二十三年(明治三十年)芝罘條約に開港せられ爾來中支に根を張つた英國が昔日の大勢力を確立した據點と云はるゝ處である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎長河の舟橋(安徽・蕪湖)
蕪湖市街は長江の埠頭から江岸に沿ひ南方に開けた町で、城は長河南岸にあり、川岸の城東及城南の地區は商賈、倉庫等櫛比する繁華區域で城西北は租界をなして居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎水鄕蕪湖 (安徽省)
長江に沿ひ長河の流れを挾む蕪湖の町は、市中に陶塘、官塘、西湖等幾多の池塘あり水に惠まれた水鄕である。池畔は茶店あり飮食店あり、湖面に燈影を映し絃歌流るゝあたり如何にも水鄕らしい趣が見らるゝ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎李園(安徽・蕪湖)
李園は蕪湖の遊步樂園として都人の散策する名園で、往昔李鴻章の華やかなりし頃別墅とせる處を後年開放したもので、園內に廣々とした大池水あり、湖中は荷蓮に富み、池畔楊柳亭樹參差として相映ずる勝地である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎靈澤廟(安徽省)
蕪湖から下游すること約一浬、對岸長江の磯に丹碧白堊の美しい靈澤廟がある。三國吳王孫權の靈澤夫人を葬る處で、孫家長江四大舊蹟として名ある史蹟である。側に李鴻章を祀る廟あり、往時は輪奐の美を極めた處であるが長髮賊の兵火のため烏有に歸したものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎鵜飼い(安徽・蕪湖)
河に沿み河を挾んだ水都蕪湖は到る處水の景である。郊外のゆるやかな流れに波紋を描いた鵜飼船の船べりに獲物を待つ鵜の一群など、江南の夏は靜かに野趣を漂はして長閑である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎桃中港(安徽省)
蕪湖港を下游すること三浬の南岸に桃中港がある。附近にある三菱經營の桃中鐵山及び銅官山鑛山の搬出せらるゝ港でその貯藏所とされて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎黃山(一)(安徽省)
大自然の攝理が巧妙な鑿を以て築き上げた山岳美が黃山の姿である。全山花崗岩からなる淨白の奇巖を削る壁立の間を、松を帶び雲を浮かべ禪堂を配するあたり正に江南第一の名山と云はれ、朝暉夕耀に映る姿の變化は特に獨步の稱がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎黃山(二)(安徽省)
黃山は海拔六千五百尺、舊名夥山と稱され唐代に現名に改められた名山で、獅子峰、四仙峰、石門峰等峰を數ふること二十六、水源三十六、溪二十四を算し八溪は流れて長江に注ぐ。全山花崗岩からなる怪異の嶮峰で、誌に曰く「黃山諸峰有如削、成烟嵐無際、雷雨在下」 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎九華山(安徽省)
九華山は省內靑陽縣の西南四十支里にあり、元は九子山と云ふたが唐の李白がその名を付けたと云はれ、地藏菩薩の示現靈場として著聞せらるゝ名山である。周百八十里、峯四十八、泉十七を數へられ明の王陽明が隱棲讀書せるなど幾多の歷史に富む靈山である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎大板上遠望(興安西省)
大板上の街はチヤガムリン河北方の平坦地にあり、大巴林王府即ち巴林右旗の公署あり、近年になり興安西省公署の所在地と定められた。住民は元來蒙古人であるが殆ど支那式で喇嘛僧を除く以外は皆農牧を業として居る。商業は殆ど漢人の手に行はれて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎大板上喇嘛廟(興安西省)
大板上の喇嘛廟は東西に二つの大伽藍がある。蒙古では北方の甘珠爾廟と並稱せらるゝ寺格のある有名な殿堂で、坦々たる丘上の町のうちに望む白堊丹壁は正に平原の偉觀である。僧侶は兩廟に常時七百内外の喇嘛僧が居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎祭に集ふ群(大板上)
大板上喇嘛廟の祭典の起源は淸朝康熙大帝御誕生の奉祝式典として起つたもので、每年陰曆六月八日から十五日に至る八日間は各旗寺廟の活佛や喇嘛僧が數千名來集し、參詣の善男善女も數百里を遠しとせず集るもの數萬と云はるゝ大盛市である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎喇嘛の舞踊(大板上)
有難い讀經の一くさりが終り賑やかな樂器の伴奏が始まると、男女二体の神樣が出て正面に坐りそろ(そろ)跳鬼の舞踊が始まる。牛頭佛も出れば髑髏の假面も飛出し、隨喜にむせぶ群集の喝采のうちに數々の怪異な群鬼が所作面白く踊り廻る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎喇嘛の樂師(大板上)
紅頂の着いた黃帽に儀容を正したこの大小の雲訥共は今日を晴れの祭典にそろ(そろ)舞踊の伴奏に出ようとする樂師の群である。樂器は喇叭、大鼓、銅羅などで特に大喇叭は長さ十尺以上もある大げさなものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎祭典の相撲(大板上)
祭典の餘興としては相撲や賽馬が尤も人気を呼ぶ。數組の力士が渾身の力をこめて輸贏を争ふ龍攘虎搏に觀集は息をこらし肩を張つて視入つて居る。今年の優勝は誰か、銀色燦然たる譽の晴衣は誰に、二つの肉塊は今したけはなにしのぎを削つて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎廟會の市(大板上)
大板上の廟會と共に開かれる二ヶ月に涉る市は、年一回の交易定期市として國內は勿論遠く察哈爾地方や錦、熱兩省及多倫、張家口方面からの商人が來集し延人員十數萬と云はれる。その取引額も二十數萬圓に達する繁昌振りで、平生はさほどで無い街もこの時ばかりは非常な繁榮を見せる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎祭りの馬市(大板上)
大板上の產物は農產品、甘草、家畜、毛皮などと數へると牧畜に緣りのあるもののみであるだけに、年一回の廟會に立つ家畜市も盛大なもので、遠くから騎馬や幌馬車で馳集つた人々との間に商品や家畜の交易が盛んに行はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎祭の「のぞき」(大板上)
年一回の廟會に參集する人々のため各方面から宣撫工作がこの機を利用して行はれる。新らしい對蒙古政策の見地から相撲や賽馬、家畜市、商品市がどが獎勵せられ「のぞき」や映畫を利用し更に試藥、施療班まで出張してその徹底に努力されて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎大板上郊外(大板上)
祭典の狂燥をよそに郊外の天地はいとも靜かな風景である。白雲の浮かぶ靑空にしつくり立つた喬木、黃沙につゝまれた低い家並、陽を浴びた白い羊の群など何となしにアカデミツクな畫布を見るやうな落付いたタツチである。 (印畫の複製を嚴禁す)