File talk:Japanese submarine chaser 38 in 1945.jpg

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歴史群像(以下Aとする)では第38号駆潜艇としているが、丸スペシャル49号『駆潜艇・哨戒艇』15頁に掲載されている1947年9月30日に佐世保で撮影された第38号駆潜艇の写真(以下Bとする)と比較した場合、

  • 艇尾の形状が一致しない。Aでは水線部に向けて末広がりな「第13号型」の特徴を持っているのに対し、Bでは垂直の「第28号型」の特徴を持つ。
  • 艇尾旗竿の支柱の向きが一致しない。Aでは旗竿が前傾し支柱が旗竿の前方にあるのに対し、Bでは旗竿が直立し支柱が旗竿の後方にある。
  • 烹水用煙突の長さと先端位置が一致しない。Aでは烹水用煙突が煙突の左舷側まで延びているのに対し、Bでは煙突前縁どまりで烹水用煙突の長さもAと比較して長い。
    • 烹水用煙突の長さや設置位置は、蒸気捨管と同様に建造所の癖が最も良く現われる箇所。
  • 第38号駆潜艇が復員輸送中に艇尾と煙突を修理した、あるいは改正したとする記録が存在しない。特に艇尾を修理するくらいの大損傷を蒙ったのなら、他の損傷艦艇と同様に賠償艦としての指定を受けない。

など、疑問が残る。 「青島で撮影された」とする米国側の記録に誤りが無いなら、これは第38号駆潜艇とともに青島で終戦を迎えた第23号駆潜艇と思われる。 みすちー (talk) 08:38, 3 February 2011 (UTC)[reply]